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-権利と財産の分与
人はお金と権利をさも自分の物として意識し始めると、本人が持つ良さは薄れ、欲望に飲み込まれてしまうものなのかもしれませんね。 グッチ・グッチの死後、2代目に就任したのはアルドでしたが、株は次男アルドと四男ロドルフォにそれぞれ50%ずつの株を分配され、実質は二人でのブランド経営をされていたようです。ブランドの貢献度としては次男アルドの方が功績が大きいのでは?と思うものの、四男ロドルフォは最もグッチオに愛されいた存在と知られているので、株も同等に分配されたようです。
-経営者として、親としての判断
経営と愛情を掛け合わせ、株の分配率をきめられた。経営者であり親であり、どちらを優先するのかは創業者当人が一番迷った上の決断でしょうが、どの一族にありそうな問題そうですね。後継者については”長男が家業を継ぐ”という一族会社の流れで、グッチ一族もアルドが後継者になったのでしょうか。ちなみに、グッチ家の場合、長男エンツォ・グッチは9歳で亡くなっているのでアルドは次男ですが長男ポジションになるようです。 その後、ロドルフォの死後には、一人息子のマウリツゥオには株は50%のまま相続されます。アルドの方は、自身が40%と3人の息子にそれぞれ3.3%ずつに分配されたそうです。この数字のバランスが崩れたことにより、一族での競争心が増して、争いが始まります。そして、この争いを一層荒立てていたキーマンがマウリツゥオの妻のパトリツィアになります。“女を船に乗せると縁起が悪い”そんな言葉が頭をよぎりますね。 きっかけは、アルドの息子パオロが勝手なブランド価値を下げた経営により、グッチを追放され、父アルドを恨んでいた事をパトリツィアは父親を恨むパオロを利用して、パトリツィアが利用して、裏切りを起こし、三代目社長の座にマウリツゥオが就任させました。願えば叶う、信念が強すぎる、逞しいとまで思ってしまうパトリツィアの行動はここで力を発揮し、権利と財産を我が物にします。
-暴走
マウリツゥオが社長=妻自分も同様と経営に口を出し続けたパトリツィアは、しまいには「君はグッチではない」とまで言われる事となる。世の中の経営者の妻さんも多かれ少なかれ、あ、、、、と思ってしまう事がありそうではないでしょうか。それが家業でなくてもつい言いすぎてしなまった。。。と少し反省をする事ありますよね。真剣であったからこそ口に出してまう。そこでの言いすぎのさじ加減をできるか、できないかが境目になりそうです。パトリツィアのように、強欲な女として、最後は犯罪にまで至ってしまうのは本当に残念です。幸せなシンデレラストーリーにもなったはずなのに。結婚当初は 経営意欲すらなかった夫と言われたマウリツゥオも、パトリツィアだけでなく、権利、財産を分与されて人が変わってしまった一人のように思います。妻の強欲への反発心だったのか。同じようなスチュエーションで悩んでいる一族が世の中にはいるのではと思われと思ってしまいます。一族による事業継承の研究により、同族の定義にて重要視される要素の一つが下記との記載がありました。
企業を独特な存在として維持しようという創 業家一族の意思にも依存するという考えにもとづいている。この指標では,同族企業であるかどうかを, 創業家一族の目標や価値が企業のそれとどの程度一致しているか,そして創業 家一族が企業に対して感情的なコミットメントをどの程度持っているかといっ た視点から捉えている
(引用:早稲田商学第 454 号 事業承継問題を対象とした 同族企業研究のレビュー )
-同族会社経営、事業継承の難しさ
ハウス・オブ・グッチでは、グッチ一族の崩壊はパトリツィアがきっかけになり、一族での事業継承は絶たれることになりますが、先ほど同族の定義にて重要視される要素の一つとしての引用文から読み取ると、一族の意思を統一できず、グッチというブランド価値についての理解度の低さ、バラツキが一族経営が最悪の末路に至った結果となったのだなと私は思いました。この想いが一族の誰もが持っている心構えであれば、パトリツィアという強欲な人が現れても跳ね除けていたのではないかと。血統であるが故、伝えることの難しさもあるのだろうなと思います。一族だけでなく、それは一家族単位でも言えると思います。血が近いから故、強く言ってしまう事あります。この映画は、華麗なるグッチ一族のような一族だけではなく、世の中の一族経営となる企業には、とても気づきを与えてくれる映画ではないかと思います。自身が企業の後継者にあたるという読者様がいたとしたら、この映画を観ることで考えを改める、新たな気づきを与えれる、企業再生のきっかけを得られるチャンスがあるかもしれません。